Friday, March 03, 2006

櫛箱(くしばこ)

 黄ばんだ日が映(あた)って来た。収穫(とりいれ)を急がせるような小春の光は、植木屋の屋根、機械場の白壁をかすめ、激しい霜の為に枯々に成った桑畠(くわばたけ)の間を通して、三吉の家の土壁を照した。家毎に大根を洗い、それを壁に掛けて乾すべき時が来た。毎年山家での習慣とは言いながら、こうして野菜を貯えたり漬物の用意をしたりする頃に成ると、復た長い冬籠(ふゆごもり)の近づいたことを思わせる。 隣の叔母さんは裏庭にある大きな柿の樹の下へ莚(むしろ)を敷いて、ネンネコ半天を着た老婆(おばあ)さんと一緒に大根を乾す用意をしていた。未だ洗わずにある大根は山のように積重ねてあった。この勤勉な、労苦を労苦とも思わないような人達に励まされて、お雪も手拭(てぬぐい)を冠り、ウワッパリに細紐(ほそひも)を巻付けて、下婢(おんな)を助けながら働いた。時々隣の叔母さんは粗末な垣根のところへやって来て、お雪に声を掛けたり、お歯黒の光る口元に微笑(えみ)を見せたりした。下婢は酷(ひど)い荒れ性で、皸(ひび)の切れた手を冷たい水の中へ突込んで、土のついた大根を洗った。「地大根」と称えるは、堅く、短く、蕪(かぶ)を見るようで、荒寥(こうりょう)とした土地でなければ産しないような野菜である。お雪はそれを白い「練馬(ねりま)」に交ぜて買った。土地慣れない彼女が、しかも身重していて、この大根を乾すまでにするには大分骨が折れた。三吉も見かねて、その間、子供を預った。 日に日に発育して行くお房は、最早親の言うなりに成っている人形では無かった。傍に置いて、三吉が何か為(し)ようとすると、お房は掛物を引張る、写真挾(ばさみ)を裂く、障子に穴を開ける、終(しまい)には玩具(おもちゃ)にも飽いて、柿の食いかけを机になすりつけ、その上に這上(はいあが)って高い高いなどをした。すこしでも相手に成っていなければ、お房が愚図々々言出すので、三吉も弱り果てて、鏡や櫛箱(くしばこ)の置いてある処へ連れて行って遊ばせた。お房は櫛箱から櫛を取出して「かんか、かんか」と言った。そして、三吉の散切頭(ざんぎりあたま)を引捕えながら、逆さに髪をとく真似(まね)をした。「さあ、ねんねするんだよ」 こう三吉は子供を背中に乗せて言ってみた。書籍(ほん)を読みながら、自分の部屋の中を彼方是方(あちこち)と歩いた。 お房が父の背中に頭をつけて、心地(こころもち)好(よ)さそうに寝入った頃、下婢は勝手口から上って来た。子供の臥床が胡燵(こたつ)の側に敷かれた。「とても、お前達のするようなことは、俺(おれ)には出来ない」 と三吉は眠った子供をそこへ投出(ほうりだ)すようにして言った。「旦那さん、お大根が縛れやしたから、釣るしておくんなすって」 と下婢が言った。この娘は、年に似合わないマセた口の利きようをして、ジロジロ人の顔を見るのが癖であった。 三吉は裏口へ出てみた。洗うものは洗い、縛るものは縛って、半分ばかりは乾かされる用意が出来ていた。彼は柿の樹の方から梯子(はしご)を持って来て、それを土壁に立掛けた。それから、彼の力では漸く持上るような重い大根の繋(つな)いである繩(なわ)を手に提げて、よろよろしながらその梯子を上った。お雪や下婢は笑って揺れる梯子を押えた。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home