Friday, March 10, 2006

高間房

 この物語の主人公である高間房一の生ひ育つた河原町は非常に風土的色彩の強い町であつた。海抜にしてたかだか千米位の山脈が蜿蜒としてつらなり入り乱れてゐる奥地から、一条の狭いしかし水量の豊富な渓流が曲り曲つたあげく突如として平地に出る。そこで河は始めて空を映して白く広い水面となり、ゆつたりと息づきながら流れるやうに見える。その辺は平地と云つても、直径にして一里足らずの小盆地で、奥地から平凡になだらかに低まつて来た山々は一面の雑木山で、盆地の端に立つと向ふ側の山も殆ど手の届くやうな感じに近く見える。さういふ平地を河は大きくうねつて、玉砂利の磧(かはら)がたいへん白く広く見える。芝草の生えた高い土堤がつゞいて、土堤の外側は水害を避けるための低地であるが、しかし不断は畑地になつてゐて、その又向ふに土堤よりは一段と高く思ひ思ひの様子で築かれた石垣があり、そこに河原町の家々が裏手の土蔵の塀やあるひは小部屋などを見せてゐるのである。そして、古びてはゐるが大きい材木を使つた此の家々は一様に外面を白壁でかこんでゐる。それは新しくて真白なのもあるが概して風雨にたゝかれたためうす黒い陰影がついて、その適度に古びた白さが、遠くから見る町並の中に点々と浮き上つて、此の河原町を一種親しみ深い快い様子に見せてゐる。又、町の裏手の山腹に一所、ちよつと見は大きい土くづれと思はれるやうな赤土の露出してゐる箇所があつて、その色があまり鮮かなので、白壁の多い町といゝ対照をつくつて、それが又この町を特別美しいものにしてゐる。これは銅山の廃坑であつた。

Friday, March 03, 2006

真実(ほんと)

「そこだよ」と記者は言葉を続けた。「細君が有れば寂しくは無いだろうか。細君が有って寂しくないものなら、僕はこうやって今まで独身などで居やしない――しかも、新聞屋の二階に自炊なぞをして、クスブったりして――」 西は話頭(はなし)を変えようとした。で、こんな風に言ってみた。「男が働くというのも、考えてみれば馬鹿々々しいサ。畢竟(つまり)、自然の要求というものは繁殖に過ぎないのだ」「そうすれば、やっぱり追い使われているんだね。鳥が無心で何の苦痛も知らずに歌うというようには、いかないものかしら……」と記者が言った。「鳥だって、み給え、対手(あいて)を呼ぶんだと言うじゃないか。人間でも、好い声の出る者が好い配偶を得るという訳なんだろう……ところが人間の頭数が増えて来たから、繁殖ということばかりが仕事で無くなって来たサ――だから、自分の好きな熱を吹いて、暮しても、生きていられるのが今の世の中サ」「何だか僕等の生涯は夢らしくて困る」「いずくんぞ知らん、日本国中の人の生涯は皆な夢ならんとはだ」 三吉は黙って、この二人の客の話を聞いていた。その時記者は沈んだ、痛ましそうな眼付をして、西の方を見た。西は目を外(そら)した。しばらく、客も主人(あるじ)も煙草(たばこ)ばかり燻(ふか)していた。 お房が覗(のぞ)きに来た。「房(ふう)ちゃん、被入(いら)っしゃい」 と西が見つけて呼んだ。お房は恥かしそうに、母のかげに隠れた。やがて母に連れられて、菓子皿の中にある物を貰いに来た。「お客様にキマリが悪いと見えて、母さんの後であんがとうしてます」と言ってお雪は笑った。 西は二度も三度も懐中時計を取出して眺めた。「君は何時(なんじ)まで居られるんだい。なんなら泊って行っても可いじゃないか」と三吉が言った。「ああ難有(ありがと)う」と西は受けて、「今夜僕の為に歓迎会が有るというんで、どうしても四時半の汽車には乗らなくちゃ成らない。今夜はいずれ酒だろうから、僕はあまり難有くない方だけれど――それに、明日はいよいよ演説をやる日取だ」「それにしても、まあユックリして行ってくれ給え」「あの時計は宛(あて)に成らない」と西は次の部屋に掛けてある柱時計と自分のとを見比べた。「大変後れてるよ」「アア吾家(うち)のは後れてる」と三吉も答えた。 お雪はビイルに有合せの物を添えて、そこへ持って来た。「なんにも御座いませんけれど、どうか召上って下さい」と彼女が言った。三吉も田舎料理をすすめて、久し振で友人をもてなそうとした。「こりゃどうも恐れ入ったねえ。僕は相変らず飲めない方でねえ」と西は言った。「しかし、気が急(せ)いて不可(いけない)から、遠慮なしに頂きます」 三吉は記者にもビイルを勧めた。「長野の新聞の方には未だ長くいらっしゃる御積りなんですか」「そうですナア、一年ばかりも居たら帰るかも知れません……是方(こっち)に居ても話相手は無し、ツマリませんからね……私は信濃(しなの)という国には少許(すこし)も興味が有りません」こう記者が答えた。 西はめずらしそうに、牛額(うしびたい)と称する蕈(きのこ)の塩漬などを試みながら、「僕は碓氷(うすい)を越す時に――一昨日(おととい)だ――真実(ほんと)に寂しかったねえ。彼方(あそこ)までは何の気なしに乗って来たが、さあ隧道(トンネル)に掛ったら、旅という心地(こころもち)が浮いて来た。あの隧道を――君、そうじゃないか――誰だって何の感じもしないで通るという人は有るまいと思うよ。小泉君が書籍(ほん)を探しに東京へ出掛けて、彼処を往ったり来たりする時は、どんな心地だろう」

わざわざ難有う

 客を見送りながら、三吉は名残(なごり)惜しそうに停車場まで随(つ)いて行った。寒く暗い停車場の構内には、懐手(ふところで)をした農夫、真綿帽子を冠(かぶ)った旅商人、それから灰色な髪の子守の群などが集っていた。 西と三吉とは巻烟草(まきたばこ)に火を点けた。記者もその側に立って、「僕が初めて西君と懇意に成ったのは、何時(いつ)頃だっけね。そうだ、君が大学へ入った年だ。僕はその頃、新聞屋仲間の年少者サ――二十の年だっけ――その頃に最早天下の大勢なんてことを論じていたんだよ」「今は余程(よっぽど)分っていなくちゃならない――ところが、君、やっぱり今でも分らないんだろう」と西が軽く笑った。 記者は玉子色の外套の隠袖(かくし)へ両手を入れたまま、反返(そりかえ)って笑った。やがて、すこし萎(しお)れて、前曲(まえこご)みに西の方を覗(のぞ)くようにしながら、「その頃と見ると、君も大分変った」 と言われて、西は黙って記者を熟視(みつめ)た。三吉は二人の周囲(まわり)を歩いていた。 三人は線路を越して、下りの汽車を待つべきプラットフォムの上へ出た。浅間へは最早雪が来ていた。「寒い寒い」と西は震えながら、「僕は汽車の中で凍え死ぬかも知れないよ」「すこし歩こう」と三吉が言出した。「そうだ。歩いたら少しは暖かに成る」と言って、西は周囲(あたり)を眺め廻して、「この辺は大抵僕の想像して来た通りだった」 三吉は指(ゆびさ)して見せた。「あそこに薄(うっ)すらと灰紫色に見える山ねえ、あれが八つが岳だ。ずっと是方(こっち)に紅葉した山が有るだろう、あの崖(がけ)の下を流れてるのが千曲川(ちくまがわ)サ」「山の色はいつでもあんな紫色に見えるのかい。もっと僕は乾燥した処かと思った」「今日は特別サ。水蒸気が多いんだね。平常(いつも)はもっとずっと近く見える」「それじゃ何ですか、あれが甲州境の八つが岳ですか――あの山の向が僕の故郷です」と記者が言った。「へえ、君は甲州の方でしたかねえ」と西は記者の方を見た。「ええ、甲州は僕の生れ故郷です……ああそうかナア、あれが八つが岳かナア。何だか急に恋しく成って来た……」と復(ま)た記者が懐(なつ)かしそうに言った。 三人は眺め入った。「小泉君」と西は思出したように、「君は何時(いつ)までこんな山の上に引込んでいる気かネ……今の日本の世の中じゃ、そんなに物を深く研究してかかる必要は無いと思うよ」 三吉は返事に窮(こま)った。「しかし、新聞屋さんもあまり感心した職業では無いね」と西は言った。「君は又、エジトルだって、そう見くびらなくッても可いぜ」と記者が笑った。 西も笑って、「あんなツマラないことは無いよ。み給え、新聞を書く為に読んだ本が何に成る。いくら読んだって、何物(なんに)も後へ残りゃしない。僕は、まあ、厭だねえ。君なんかも早く切上げて了いたまえ」「君はそういうけれど、僕は外に仕方が無いし……生涯エジトルで暮すだろう……これも悪縁でサ」と言って、記者は赤皮の靴を鳴らして、風の寒いプラットフォムの上を歩いてみた。 下りの汽車が来た。少壮(としわか)な官吏と、少壮な記者とは、三吉に別れを告げて、乗客も少ない二等室の戸を開けて入った。「この寒いのに、わざわざ難有う」 と西は窓から顔を出して言った。車掌は高く右の手を差揚げた。列車は動き初めた。長いこと三吉はそこに佇立(たたず)んでいた。

櫛箱(くしばこ)

 黄ばんだ日が映(あた)って来た。収穫(とりいれ)を急がせるような小春の光は、植木屋の屋根、機械場の白壁をかすめ、激しい霜の為に枯々に成った桑畠(くわばたけ)の間を通して、三吉の家の土壁を照した。家毎に大根を洗い、それを壁に掛けて乾すべき時が来た。毎年山家での習慣とは言いながら、こうして野菜を貯えたり漬物の用意をしたりする頃に成ると、復た長い冬籠(ふゆごもり)の近づいたことを思わせる。 隣の叔母さんは裏庭にある大きな柿の樹の下へ莚(むしろ)を敷いて、ネンネコ半天を着た老婆(おばあ)さんと一緒に大根を乾す用意をしていた。未だ洗わずにある大根は山のように積重ねてあった。この勤勉な、労苦を労苦とも思わないような人達に励まされて、お雪も手拭(てぬぐい)を冠り、ウワッパリに細紐(ほそひも)を巻付けて、下婢(おんな)を助けながら働いた。時々隣の叔母さんは粗末な垣根のところへやって来て、お雪に声を掛けたり、お歯黒の光る口元に微笑(えみ)を見せたりした。下婢は酷(ひど)い荒れ性で、皸(ひび)の切れた手を冷たい水の中へ突込んで、土のついた大根を洗った。「地大根」と称えるは、堅く、短く、蕪(かぶ)を見るようで、荒寥(こうりょう)とした土地でなければ産しないような野菜である。お雪はそれを白い「練馬(ねりま)」に交ぜて買った。土地慣れない彼女が、しかも身重していて、この大根を乾すまでにするには大分骨が折れた。三吉も見かねて、その間、子供を預った。 日に日に発育して行くお房は、最早親の言うなりに成っている人形では無かった。傍に置いて、三吉が何か為(し)ようとすると、お房は掛物を引張る、写真挾(ばさみ)を裂く、障子に穴を開ける、終(しまい)には玩具(おもちゃ)にも飽いて、柿の食いかけを机になすりつけ、その上に這上(はいあが)って高い高いなどをした。すこしでも相手に成っていなければ、お房が愚図々々言出すので、三吉も弱り果てて、鏡や櫛箱(くしばこ)の置いてある処へ連れて行って遊ばせた。お房は櫛箱から櫛を取出して「かんか、かんか」と言った。そして、三吉の散切頭(ざんぎりあたま)を引捕えながら、逆さに髪をとく真似(まね)をした。「さあ、ねんねするんだよ」 こう三吉は子供を背中に乗せて言ってみた。書籍(ほん)を読みながら、自分の部屋の中を彼方是方(あちこち)と歩いた。 お房が父の背中に頭をつけて、心地(こころもち)好(よ)さそうに寝入った頃、下婢は勝手口から上って来た。子供の臥床が胡燵(こたつ)の側に敷かれた。「とても、お前達のするようなことは、俺(おれ)には出来ない」 と三吉は眠った子供をそこへ投出(ほうりだ)すようにして言った。「旦那さん、お大根が縛れやしたから、釣るしておくんなすって」 と下婢が言った。この娘は、年に似合わないマセた口の利きようをして、ジロジロ人の顔を見るのが癖であった。 三吉は裏口へ出てみた。洗うものは洗い、縛るものは縛って、半分ばかりは乾かされる用意が出来ていた。彼は柿の樹の方から梯子(はしご)を持って来て、それを土壁に立掛けた。それから、彼の力では漸く持上るような重い大根の繋(つな)いである繩(なわ)を手に提げて、よろよろしながらその梯子を上った。お雪や下婢は笑って揺れる梯子を押えた。

蹉跌(つまずき)

「どうも、御無沙汰(ごぶさた)いたしやした」こう言って、お房の時に頼んだ産婆が復た通って来る頃――この「御無沙汰いたしやした」が、お雪の髪を結っていた女髪結を笑わせた――三吉は東京に居る兄の森彦から意外な消息に接した。 それは、長兄の実が復た復た入獄したことを知らせて寄(よこ)したもので有った。その時に成って三吉も、度々(たびたび)実から打って寄したあの電報の意味を了解することが出来た。森彦からの手紙には、祖先の名誉も弟等の迷惑をも顧みられなかったことを掻口説(かきくど)くようにして、長兄にしてこの事あるはくれぐれも痛嘆の外は無い、と書いて寄した。 三吉は二度も三度も読んでみた。旧(ふる)い小泉の家を支(ささ)えようとしている実が、幾度(いくたび)か同じ蹉跌(つまずき)を繰返して、その度に暗いところへ陥没(おちい)って行く径路(みちすじ)は、ありありと彼の胸に浮んで来た。三吉が過去の悲惨であったも、曾(かつ)てこういう可畏(おそろ)しい波の中へ捲込(まきこ)まれて行ったからで――その為に彼は若い志望を擲(なげう)とうとしたり、落胆の極に沈んだりして、多くの暗い年月を送ったもので有った。 実が残して行った家族――お倉、娘二人、それから他へ預けられている宗蔵、この人達は、森彦と三吉とで養うより外にどうすることも出来なかった。それを森彦が相談して寄した。この東京からの消息を、三吉はお雪に見せて、実にヤリキレないという眼付をした。「まあ、実兄さんもどうなすったと言んでしょうねえ」 と言って、お雪も呆(あき)れた。夫婦は一層の艱難(かんなん)を覚悟しなければ成らなかった。 冬至には、三吉の家でも南瓜(かぼちゃ)と蕗味噌(ふきみそ)を祝うことにした。蕗の薹(とう)はお雪が裏の方へ行って、桑畑の間を流れる水の辺(ほとり)から頭を持上げたやつを摘取って来た。復た雪の来そうな空模様であった。三吉は学校から震えて帰って来て、小倉の行燈袴(あんどんばかま)のなりで食卓に就(つ)いた。相変らず子供は母の言うことを聞かないで、茶椀(ちゃわん)を引取るやら、香の物を掴(つか)むやら、自分で箸(はし)を添えて食うと言って、それを宛行(あてが)わなければ割れる様な声を出して泣いた。折角(せっかく)祝おうとした南瓜も蕗味噌も碌(ろく)にお雪の咽喉(のど)を通らなかった。「母さんは御飯が何処へ入るか分らない……」

風邪(かぜ)

 お雪はすこし風邪(かぜ)の気味で、春着の仕度を休んだ。押詰ってからは、提灯(ちょうちん)つけて手習に通って来る娘達もなかった。お雪が炬燵(こたつ)のところに頭を押付けているのを見ると、下婢(おんな)も手持無沙汰の気味で、アカギレの膏薬(こうやく)を火箸(ひばし)で延ばして貼(は)ったりなぞしていた。 寒い晩であった。下婢は自分から進んで一字でも多く覚えようと思うような娘ではなかったが、主人の思惑(おもわく)を憚(はばか)って、申訳ばかりに本の復習(おさらい)を始めた。何時(いつ)の間にか彼女の心は、蝗虫(いなご)を捕(と)って遊んだり草を藉(し)いて寝そべったりした楽しい田圃側の方へ行って了った。そして、主人に聞えるように、同じところを何度も何度も繰返し読んでいるうちに、眠くなった。本に顔を押当てたなり、そこへ打臥(つッぷ)して了(しま)った。 急に、お房が声を揚げて泣出した。復(ま)た下婢は読み始めた。「風邪を引いてるじゃないか。ちっとも手伝いをしてくれやしない」 こうお雪が言った。お雪はもう我慢が仕切れないという風で、いきなり炬燵を離れて、不熱心な下婢の前にある本を壁へ投付けた。「喧(やか)ましい!」 下婢は止(よ)すにも止されず、キョトキョトした眼付をしながら、狼狽(うろた)えている。「何事(なんに)も為(し)てくれなくても可いよ」とお雪は鼻を啜(すす)り上げて言った。「居眠り居眠り本を読んで何に成る――もう可いから止してお休み――」 唐紙を隔てた次の部屋には、三吉が寂しい洋燈(ランプ)に対(むか)って書物を展(ひろ)げていた。北側の雪は消えずにあって、降った上降った上へと積るので、庭の草木は深く埋(うずも)れている。草屋根の軒から落ちる雫(しずく)は茶色の氷柱(つらら)に成って、最早二尺ばかりの長さに垂下っている。夜になると、氷雪の寒さが戸の内までも侵入して来た。時々可恐(おそろ)しい音がして、部屋の柱が凍割(しみわ)れた。「旦那(だんな)さん、お先へお休み」 と下婢は唐紙をすこし開けて、そこへ手を突いて言った。やがて彼女は炉辺の方で寝る仕度をしたが、三吉の耳に歔泣(すすりなき)の音が聞えた。一方へ向いては貧乏と戦わねばならぬ、一方へ向いては烈(はげ)しい気候とも戦わねばならぬ――こういう中で女子供の泣声を聞くのは、寂しかった。三吉は綿の入ったもので膝(ひざ)を包んで、独(ひと)りで遅くまで机の前に坐っていた。 三吉が床に就く頃、子供は復た泣出した。柱時計が十二時を打つ頃に成っても、未だお房は眠らなかった。 お雪は気を焦(いら)って、「誰だ、そんなに泣くのは……其方(そっち)行け……あんまり種々な物を食べたがるからそうだ……めッ」 いよいよお房は烈しく泣いた。時には荒く震える声が寒い部屋の壁に響けるように起った。母が怒って、それを制しようとすると、お房は余計に高い声を出した。「ねんねんや、おころりや、ねんねんねんねんねしな……」とお雪は声を和(やわら)げて、何卒(どうか)して子供を寝かしつけようとする。お房は嬉しそうな泣声に変って、乳房を咬(くわ)えながらも泣止まなかった。「母さんだって、眠いじゃないか」 と母に叱られて、復たお房はワッと泣出す。終(しまい)には、お雪までも泣出した。母と子は一緒に成って泣いた。

落葉松(からまつ)

「どうしてあんなに子供を泣かせるんだねえ。あんなに泣かせなくっても済むじゃないか」 とお雪は下婢の前に立って言った。隣家(となり)では朝から餅搗(もちつき)を始めて、それが壁一重隔てて地響のように聞えて来る。三吉の家でも、春待宿(はるまつやど)のいとなみに忙(せわ)しかった。門松は入口のところに飾り付けられた。三吉は南向の日あたりの好い場所を択(えら)んで、裏白だの、譲葉(ゆずりは)だの、橙(だいだい)だのを取散して、粗末ながら注連飾(しめかざり)の用意をしていた。 貧しい田舎教師の家にも最早正月が来たかと思われた。三吉は、裏白の付いた細長い輪飾を部屋々々の柱に掛けて歩いたが、何か復た子供のことでお雪が気を傷(いた)めているかと思うと、顔を渋(しか)めた。三吉の癖で、見込の無い下婢よりは妻の方を責める――理窟(りくつ)が有っても無くても、一概に彼は使う方のものがワルいとしている。だから下婢が増長する、こうまたお雪の方では残念に思っている。「そりゃ、お前が無理だ」と三吉はお雪に言った。「未だ彼女(あれ)は十五やそこいらじゃないか――子供じゃないか――そんなに責めたって不可(いけない)」「誰も責めやしません」とお雪はさも口惜(くや)しそうに答えた。お雪は夫が奉公人というものを克(よ)く知らないと思っている――どんなに下婢が自分の命令(いいつけ)を守らないか、どんなに子供をヒドくするか、そんなことは一向御構いなしだ、こう思っている。「責めないって、そう聞えらア」と復た三吉が言った。「私が何時責めるようなことを言いました」とお雪は憤然(むっ)とする。「お前の調子が責めてるじゃないか」「調子は私の持前です」「お前が父親(おとっ)さんに言う時の調子と、今のとは違うように聞えるぜ」「誰が親と奉公人と一緒にして、物を言うやつが有るもんですか。こんな奉公人の前で、親の恥まで曝(さら)さなくっても可(よ)う御坐んす」「解らないことを言うナア――なにも、そんな訳で親を舁(かつ)ぎ出したんじゃなし――奉公人は親ぐらいに思っていなくって使われるかい」 奉公人そッちのけにして、三吉とお雪とはこんな風に言合った。その時、お房は何事が起ったかと言ったような眼付をして、親達の顔を見比べた。下婢は下婢で、隅(すみ)の方に小さく成って震えていた。「女中のことで言合をするなぞは――馬鹿々々しい」と三吉は思い直した。そして、自分等夫婦も、何時の間にかこんな争闘(あらそい)を始めるように成ったか、と考えた時は腹立しかった。「今日は。お餅(もち)を持って参じやした。どうも遅なはりやして申訳がごわせん」 こう大きな百姓らしい声で呶鳴(どな)りながら、在の米屋が表から入って来た。「お餅! お餅!」と下婢は子供に言って聞かせた。お房は手を揚げて喜んだ。この児は未だ「もう、もう」としか言えなかった。 百姓は家の前まで餅をつけた馬を引いて来た。「ドウ、ドウ」などと言って、落葉松(からまつ)の枝で囲った垣根のところへ先(ま)ずその馬を繋(つな)いだ。